5/31 マイセン焼
2009年05月31日

江戸時代。中国景徳鎮の磁器がヨーロッパにさかんに輸出している頃、
日本の有田にも注文が殺到。
ヨーロッパの王侯貴族達は色絵磁器の製作を試みました。
数々の試行錯誤経てドイツのマイセンで成功。
セロハンを重ねたような色の濃淡など独自の技術を開発、
明治期 日本が技術指導を受けたこともあります。
5/30 陶芸
2009年05月30日

彫刻家の叔父に言わせると 『 まがい物買ってきた』・・・・・
旅行土産に茶碗を買ってきますが、単なるおみやげ品。
まぁ 写真集の一部を購入したようなもので
コーヒーも抹茶も飲めるんです。
旅の楽しい思い出もよみがえってきます。
備前焼・九谷焼・志野焼・・・・・少しづつふえているのです。
5/29 ロートレック
2009年05月29日

フランス・トュールーズの領主の息子として生まれましたが、
幼時期の事故のため、障害者として短かくも画家として名を残しました。
高校時代の寄宿生活での友人が彼の絵を守り 散逸を防ぎました。
また、彼は優れた料理家だったといいます、
彼の育った、トールーズが海に近く豊富な食材が集まる所
に起因するともいわれています。
ムーラン・ルージュ《赤い風車》
キャバレー発祥の地とおもいきや、
やや高台の畑で、揚水の為に風車を使っていたそうです。
5/28 目撃者あり
2009年05月28日

『日本海大海戦』より

昭和45年位でしょうか、三笠の乗員など存命していました。
対馬から この海戦を木に登って目撃していた少年もいました、
一般人としては唯一でしょう。
後この島で神官として過ごしたそうです。
5/27 海戦
2009年05月27日

〈同時期に製作されたもの。 現在も使用可能〉
明治38年(1905) ロシア・日本海軍が激戦。
その10年前 マルコニーが無線機を発明。
しかし、高額で購入できませんでした、
明治36年国産化に成功、ただちに無線網を作りました。
『敵艦見ゆ』・・・・といっても通信距離が短く
3回程転電し一時間余で旗艦に届いたそうです。
5/26 晴耕閑話
2009年05月26日

いちご 予想外に多くの実が付き大成功ではありませんでした。
狭いところに倍近い結実、実も根も例年より大きくなりましたが、
土の栄養分がまわらなかったのか、完熟とはいきませんでした。
もう来期のことを考えています。

一週間程前に植えた薩摩芋です、根付いてくれれば
後は何もすることはありません、
(予定地に空豆があるため 仮住まいです。)
来年は水栽培で苗を作る予定です。

野良猫様の通行路、しかたないので猫道を確保しました。
踏みつけては困るところだけ棒をたてるとか・・・。
5/25 茶道
2009年05月25日

庭園、寺院に行くと茶室があり抹茶を飲むことができます。
庭をみるには最高のポイントです。
作法なんて知らなくても良いんです、
日本人のほんの一部の人しか知らない事ですから。
① 菓子を食べる
② 茶を飲む
これだけですよ。 日本を楽しんでください。
5/24 映画監督
2009年05月24日

日本を代表する映画監督、
黒澤明・小津安二郎・溝口健二 。
経済的には不自由なかったようですが、豪邸住まいではなかったようです。
小津監督の場合、現在の価格で年収一億円程。
鎌倉の海岸近くで粗末な小さな家で老母と二人暮らし、
俳優や作家達との交際費が必要だったのでしょうか?
黒澤監督などはプロダクションの経費になったのでしょうか ?
夢を作り、夢を叶える人々
映画なら映画が作れれば至福の人生なのでしょう。
5/23 寄席芸人
2009年05月23日

十朱幸代・三橋達也・堺正章
近親者に寄席芸人がいます。
寄席芸人の子孫というべきでしょう。
どんな芸を見せていたのでしょうか ?
自分の一族を見渡しても 遺伝子に
強く支配されているのが解ります。
5/22 剣術つかい
2009年05月22日

幕末、江戸では剣道場が流行。
都民が徳川家を尊敬していたという説、
身分の売買ができ、農民・商人でも武士になることができ
公務員の予備校のような存在でもあったのかもしれない。
当時 流行の道場主
千葉周作《千葉の農家のせがれ》
浅利又七郎《あさり売り》
近藤勇《調布の農民》
武士でない人々が武士のような生活をしていました。
新選組はガードマンなんです。
平清盛はガードマンから武士になったのです。
5/21 作曲家達-3
2009年05月21日

『展覧会の絵』 ムソログスキーはピアノ譜。
モーリス・ラベルがオーケストラ化。
『香妃』 山田耕筰 ピアノ譜。
團伊球磨にオーケストラ化を依頼
余命の無いことを知っていたという。
5/20 作曲家-2
2009年05月20日

フォースター。 オーケストラ用のワルツを残していますが
評価は高くないようです。
『ホワイト・クリスマス』 のアービング・バーリン 譜面は読めなかったそうです。
『君といつまでも』 の加山雄三は森岡 賢一郎の協力をえています。
ジミー・スミス (ハモンドオルガン)
大リーグの応援やスケートリンクにオルガン演奏が活躍。
軍艦の作業にもオルガン演奏があります。
スミスも海軍入隊で楽器をマスター
ただ 譜面は読めなかったようです。
5/19 作曲家達-1
2009年05月19日

『ラプソディー・イン・プルー』のジョージ・ガーシュイン
子供の頃からピアノを習っていました。 初期の頃 オーケストラ化は
『大峡谷』のグローフェが協力しています。
チャリィ・チャプリン
無声映画を作った後に 音を挿入した映画作品にしています。
ハミングや口笛を専門家が採譜しています。
『いつでも夢を』 吉田正もそおした作曲者でした。
5/18 聞きかじり
2009年05月18日

『アル・ジョルスン物語』
米ソ関係が悪かった頃、アメリカでは共産的思想者を排除しました。
この中にチャプリン、アル・ジョルスンがいました。
映画 『アル・ジョルスン物語』を製作中でさえ出演できませんでした、
しかし、しかし、このロングのシーンだけ本人だそうです。
〈スワニー〉は今日も残る 彼の最も有名な曲です。
第一作のトーキー映画で彼は 《お楽しみはこれからだ》
というセリフ 残しています。
当然 アル・ジョルスンの全盛も活躍も知りませんが
映画はアメリカのステージ史を伝えています。
この政策に関与していたのが ニクソン大統領だったようです。
5/17 グレン・ミラー
2009年05月17日


白人ジャズバンドということで映画・歴史に名を刻んだ人。
しかし、音楽の師匠である友人の評価はすこぶる悪い、
金管ブラスの厚い和音の上に、木管のメロディーをのせただけ という。
ジャズとはことなる・・・・。
映画ではジェームス・スチュワートが好演していましたが、
現実のミラーはやや個性的で、顔も心も骨っぱかったようです。
軍楽隊入隊、ロンドン空襲時演奏を止めなかったとか・・・・。
映画『グレン・ミラー物語』に若き日の ヘンリー・マンシーニが
音楽監督として参加、成功し不動の地位を獲得。
大戦中 ジェームス・スチュワートも志願、爆撃機の将校になる。
ポール・ニューマンは艦上攻撃機の射手でした。
5/16 メモリーオブ・ユー
2009年05月16日

ペニー・グッドマン物語のエンディングで使われている名曲です。
100年ちょっと前、黒人の子供が楽器店に置かれているオルガン
を弾いたところ店主が、少年の才能を見抜き
町中の援助を得て作曲家になったといいます。
百余歳でのテレビ出演、味のあるピアノ演奏を残しています。
5/15 ベニー・グッドマン ライブ
2009年05月15日

『ベニー・グッドマン物語』
1980年 グッドマンはテディ・ウィルソンと来日
コンサートを開催。 民放主催でしたがNHKが放映しました。
テディ・ウィルソンの繊細なピアノ演奏も印象であり、
グッドマンの軽やかな演奏も見事でした。
5/14 ベニー・グッドマン
2009年05月14日

白人ジャズバンドのリダー。
確かにそうなのですが、編曲そのものは多数の黒人のものを使用。
映画 『ベニー・グッドマン物語』のなかでフレッチャー・ヘンダーソン
の参加要請のシーンがちゃんとあります。

グッドマンはクラリネット協奏曲などのレコードを残していますし、
亡命作曲家との交流・援助もあるようです。
彼には
ジーン・クルーパー(ドラマ〉・ライオネル・ハンプトン(ビブラ・ホン)
テディ・ウィルソン(ピアノ)・ハリー・ジェイムス(トランペット)
等々 はば場広い人脈もあったのでしょう。

5/13 浮世絵-4
2009年05月13日

モネの描く 睡蓮の池に架かる小さな太鼓橋・・・・日本風橋だそうです。
王侯貴族の中には、五重塔に日本庭園を造ったものが現存しています。
現在、私達が南仏風の家に住んだり、南アジアの調度品に
囲まれたりと 文化は夢であり、融合するもののようです。




